肩書きよりも、どうありたいかが大切なこと


しの(@shino74_811)です。

3月28日、あるイベントに行ってきました。

 

こちらです。

銀座のEDIT TOKYO(5ヶ月間だけ限定でオープンしている本屋さん)で行われた、業界の人向けのイベントでした。もしかしたら業界の人ばかりを呼びたかったわけではないのかもしれないですが、実際のところは業界の人がたくさんいたな〜という実感。

 

話題は、先月初旬にメディア界隈をざわつかせた”読モライター”について。イベント名にもなった「××ライター」がその読モライターと言われる存在です。

 

これはイベントレポートではありません

 

それなら、そのイベントレポートをこれから書くのかと思われている気がするので冒頭で言ってしまいますが、イベントレポートはわたしが日頃から尊敬しているライターさんが驚くスピードとクオリティでまとめ上げてくださっているので、わざわざ書くことはないのかなとか思ってます。

 

イベントそのものについて知りたいという方は、このレポートかツイッターのハッシュタグ「#どうでもいい二人」と検索してみてください。イベントのリアル感も臨場感もよく伝わるはずです。

 

それならなんで書いているのだということですが、わたしからは初心者目線というか「普通の大学生」と「メディアの人」の真ん中くらいにいる存在としてそこそこに考えることが多かったので、そのことを少し書いてみようと思います。

 

さっくりと概要を

 

とはいえ一度イベントレポートを読んでもらう手間がかかると優しくないので、簡単にですがイベントの概要を説明します。

 

登壇者は2名。ライターの朽木誠一郎さんと同じくライターのカツセマサヒコさん。

朽木さんは有限会社ノオトで、カツセさんは株式会社プレスラボにてそれぞれ活躍していらっしゃいます。

(2017年4月追記:お二方とも、2017年3月31日付けで退職されました)

 

そして、冒頭でも述べたように今回のイベントの趣旨は“読モライター”について。

あまり聞きなれないという人も多いですが、読モライターという言葉が広まったのは2月初めのことでした。

 

「ライターの”読モ”化」

この発言は、多くの議論を呼びました。一時期わたしのツイッターもタイムラインがほとんどこの記事に対する何やらでして、情報の広まり方は半端ではないと実感した一件でもあります。

 

ライターが顔を出し、タレント性で売るようになっている世の中だということですが、実際のところはどうなのだろうか。ここがイベントの本題です。

 

そして、その対比としてわかりやすいのが今回の登壇者のおふたり。

カツセさんは普段のお仕事から顔を出していることや、ツイッターで日頃からポエムを綴っていることをキッカケに物語を書かれていたりもするので、タレント性が個性となる「読モライター」

朽木さんは日頃は固めの文章を書かれることが多いので、読モライターに対して「職人ライター」

 

それぞれのメリットや実際のところどうなの?という話をだいぶ突っ込んだところまで話してくださいました。

 

「ライターになりたい」は「“読モ”ライターになりたい」な気がして

 

イベントの中身については特に触れません。

ー「結論、肩書きなんてどうでもいいんだよね。ハッシュタグの通り(笑)」

と、イベントそのものは綺麗に収束を迎えているためです。詳しい中身はレポートをぜひ。

 

この結論には納得でした。

ただ、わたしの心の中にはわだかまりというか、引っ掛かりがあるような気がして。

 

その疑問をゆっくりとほどいてみると、イベント内でのカツセさんの発言に戻ることになります。

「カツセさんみたいなライターになりたいって言われるとちょっと危険だなと思う」

 

何がわたしの中で引っかかっていたのかというと、これからライターになりたいと思っている人をわたしもひっくるめて若手と呼ぶなら、今の若手は「ライター=読モライター」と思っているのではないかなということ。

もともとこの読モライターの話題は、界隈では有名だとしても若い世代にはあまり知られていない印象があります。ということは、ライターに種類があることすら知られていないなのではないかなと。わたし自身も、ライターという職業を知ったのは読モライターの方々の記事の影響が大きいので、ライターというとそのイメージでいた時期もありました。

 

若い世代にとっては、記事を読むことそのものの行為が浸透していないことも多い……本ではないwebの文章ですら、「活字はきらい」と避ける人をよく見ます。そんな世代に文章を読んでもらうためにライター自身がインフルエンサーとなって記事を広めていった、そうなると「ライターとは読モライターである」という認識になってしまうのが必然だなと。

 

読モライターが良いか悪いということでは決してなくて、ライターになりたいならライターの仕事がそういうものではないことも知った方が良いと、純粋にそう思います。

自分の好きなことを書けるわけではないし、顔どころか名前が出る記事ならありがたいくらいで裏方に回ることも多いです。ライターとしてはまだ経験の短いわたしですら、そう実感します。

 

 

どんなライターになりたいのかを考える

 

イベントの中で、読モか職人かどうかはアウトプットが違っただけのことというフレーズが出てきたのですが、聞いた瞬間ハッとしました。たしかにお二方とも、職人ライターらしいお仕事、読モライターらしいお仕事、両方ともこなしているしこなすことができるのです。なぜなら、読者に届けるためにどういうアウトプットだと届きやすいかと考えた結果なだけであるから、と。

 

ということは、わたしたちは「〇〇みたいなライターになりたい」と言っている場合ではなく、「どんな文章を書けるライターなのか」「どんな強みがあるのかライターなのか」ということにもっと目を向けてあげた方がいいのではないかなと、そう思います。

朽木さんが「ライターの個性とは?」という話題が上がった際に答えた「書き分けがしっかりとできるのもライターの個性」という言葉の中にも反映されているように。

 

ライターになりたいなら、「どんな個性があるライターになりたいのか」ということを考えていくといいのではと思っています。わたしの場合だと、「構成の整った文章を書けるようになりたい」だったり「強い分野のあるライターになりたい」、「体力のあるライターになりたい」「企画力のあるライターになりたい」とかいろいろあります。そのくらい具現化した方が、夢が夢で終わらず掴むところまで行けるような気がします。

 

 

あとは書きまくってみる

 

「ライターになりたい」ついでに思うこと。とにかく書いてみる。

人に偉そうに言えるほどわたしも書いているわけではないかもしれませんが、ライターになりたいならブログでもなんでも今すぐ書いた方がいいです。

 

たとえばそれがブログの文章だったとしても、書くことそのものへのハードルを下げることって自分の心をとても軽くしてくれます。それに、自分の文章が拙いこともわかるし、それを発信していることでものすごく「自分ダサいなぁ〜」って客観視もできます。

 

ライターに限ったことではないですが、やりたいという動機には素直に答えてあげて足を動かすと良いことあるんじゃないかな、そう思ってわたしは毎日書いています。大変なこともたくさんあるけれど、書くことが好きだから始めたお仕事、始めたらもっと書くことが好きになりました。9:1くらいで辛い時はつらいけれど、その1が10000くらいに感じられる楽しさはあります。そして、書いた文章が人に届いていくことはもう数字では表せない嬉しさがあります。

 

ライターになりたいっていう人は、そんな風に考えて行動してみてほしいです。

そしてライターになりたいという同世代の方々とは、頼もしい若手が多いと言われるよう一緒に頑張りたいです。


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